2009年04月03日

新健康協会

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2008年12月03日

観音様は最高の神仏

観音様は最高の神仏 観音様は一番御位が高い。八百万の神仏中一番高い御位です
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2008年05月15日

くつろぐ

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2008年04月05日

体内の入浴

体内の入浴

『救世』147号、昭和27(1952)年3月12日発行

 私は現代医学の誤謬を常にかいているが、何しろ今まで長い間病気は医者と薬という事に決まっているのであるから、吾々の言う理屈はなるほどと分かっていても、思い切って実行する事が出来ないのが、大抵な人の想念である。だからそういう人達のために、出来るだけ分かり易く、ここにかいてみようと思うのである。
 それについて一番判り易い病気としては、何といっても風邪であろう。そうしてまず風邪を引くやイキナリ熱が出て、咳や痰、くさめ、水ッ洟、頭痛、節々の痛み等の苦しみがおこるので、早速お医者に診て貰う。ところがここに問題がある。誰しも風邪くらいと思っている半面、ウッカリすると、どんな事になるか分からない、あるいは大病の始まりかも知れないという心配が頭を持ち上げてくる。そこでお医者の言う通りにして治まるのを待っている。また人によってはアスピリンや葛根湯(かっこんとう)を煎じて服むとか、御手製の玉子酒、蜜柑の黒焼きなどを呑んで、ウント蒲団を被り、真っ赤になって汗を出すやり方である。また懐の温かい臆病な人は、そんな姑息(こそく)な方法は出来ないとして、手遅れになっては大変だ、それこそ取り返しがつかないと、普段から信用しているお医者に馳けつける。そこで色々お医者に訊くが、何しろ風邪の原因すら分かっていない医学の事だから、ハッキリ説明が出来ないので安心は出来ない。それもそのはず、お医者自身でさえ肚の中では、あるいは肺炎になるかも知れないという懸念もあるからで、そこでまず安静第一と、精々御大事にしなさいくらいの御座なり的言葉なので、心細い事おびただしい。といって外にどうしようもないから、ビクビクもので、一日中体温計と首ッ引きであるのを、吾々から見れば実に滑稽至極(こっけいしごく)である。
 ところがいつも言う通り、風邪くらい結構なものはないので、体中のどこかしらに溜っている毒の掃除であるからで、すなわち熱のために溶けた痰や水ッ洟、汗などが出るだけ出れば治ってしまい、後はサッパリして健康は増すからである。つまりロハで体内の掃除が出来るのだから、こんな有難い話はないではないか。これをたとえてみれば、入浴は外部の清潔法で、風邪は内部の清潔法と思えばいい。つまり皮膚に溜った垢を落すのと同様体内に溜った垢を落すのである。だから痰や鼻汁、汗も垢である。もちろん皮膚は人間の手で洗えるからいいが、腹の中はそうはゆかないが、自然は有難いもので、風邪という方法で洗い落されるのだから、何と造物主という神様が巧く造られたものではないか、としたら実に風邪様々である。だから出来るだけ風邪を引くようにすればいいので、これがまず一番の健康法である。つまり神様の造った健康法である。従ってこの理屈が分かっただけでも、心配は半分以上減ってしまうのは当然で、反って手当などせず放っておくに限るので、それでとても順調に治るから、今度風邪を引いたら試してみればよく分かる。しかも体内が清まる以上、その後は段々風邪を引かなくなる。ところがそんな簡単な理屈が今日まで分からなかったという事は実に不思議で、人間くらい愚かなものはないと私は思っている。という訳で風邪を無暗に恐れ、引いたが最後余計な金を使い、仕事もせず散々苦しんだあげく、結核などになるのだから、憐れなる者よ汝の名は人間也と言いたいくらいである。そればかりではない。ここに問題なのは薬である。前記のごとく体内の清潔法を逆解して停めようとするのが医学であり、そのため用いるのが薬と称する毒物である。およそ世の中に本当の薬というものは一つもない。強いていえばまず米の飯であろう。これは人間が生きてる以上、一日も欠かす事が出来ないからである。だから今日薬といって有難がっているものはことごとく毒であって、毒の力で治るのを邪魔するのだから、これ程間違った話はあるまい。ではどうしてそんなに間違ったかというと、清潔作用の苦しみが薬で一時楽になるから、それを治るものと錯覚してしまったからである。とすれば薬というものは全く禁断の木(こ)の実であろう。
 ところがまだ大変な事がある。それは薬毒は体内へ入ると大部分は残ってしまい、何年、何十年経っても外へ出ないで、体内各局所に固まってしまうのである。それに清潔作用が起こる。それが風邪であるから、そのまま放っておけば必ず治るものを、わざわざ薬で拗(こじ)らし余病を作ったり、悪化さしたりして、命までもフイにするのだから、あきれて物が言えないのである。こうみてくると病気の因は全く薬毒であるから、人間は薬を廃め、出来るだけ風邪を引くようにすれば、年中無病息災となり、長生きする事請合である。
 このような素晴しい人類の誤りを私は発見し、しかも浄霊という薬毒排除法まで教えるのであるから、私の事業たるや、いかに大きな救いであるかが分かるであろう。私の唱える病貧争絶無の地上天国を造るなどと、偉そうにいうのも、まんざら法螺(ほら)でない事が肯かれるであろう。
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病気とは何ぞや・アメリカを救う

病気とは何ぞや・アメリカを救う

『栄光』179号、昭和27(1952)年10月22日発行

アメリカを救う

 私は標題の著書を目下執筆中であるが、左の一文はその中の一項目で、参考になると思うから、載せる事にした。

病気とは何ぞや

 序論にもある通り、現在米国における病気の漸増は何がためであるかを、その根本から説いてみるが、まず病気なるものの発生原因であるが、驚くなかれ病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし増やしているという、到底信じられない程の迷盲である。そうしてこれは説明の要のない程明らかであるにかかわらず、それに気が付かないのであるから、全く二十世紀の謎といってもよかろう。それどころか益々医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決出来るものと固く信じているのである。ではそのような不可解な原因はどこにあるかというと、それは医学の考え方が逆になっており、病気をもって悪い意味に解釈しているからである。それをこれから徹底的に解説してみよう。
 本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性毒素と後天性毒素とを保有している。先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは生まれてから体内へ入れた薬毒である。というと何人も意外に思うであろう。何となれば昔から薬は病気を治すもの、健康を補うものとの観念が常識となっていて、良い薬さえ出来れば病気は解決するものと信じ、それを医療の主眼としているからである。特に米国は薬に最も重点を置き、新薬発見に非常な努力を払っているのは誰も知る通りである。ゆえにもし薬で病気が治るとしたら、病気は漸次減らなければならないはずであるのに、逆に益々増えるのはどうした訳か、これ程理屈に合わない話はあるまい。元来薬というものは、地球上ただの一つもないのであって、ことごとく毒物であり毒だから効くのである。それはどういう意味かというと薬という毒の作用によって病気症状が減るから治るように見えるので、実は治るのではないのである。
 では薬がなぜ毒物であるかというと、そもそも人間が口へ入れるものとしては、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。そうして食物にも人間が食うべきものと、食うべからざるものとは自ら別けられている。すなわち食うべきものには味を含ませ、人間には味覚を与えられているのであるから、人間は食いたいものを楽しんで食えば、それで栄養は充分摂れるので、これだけを考えても造物主の周到なるは分るはずである。この意味において生きんがために食物を摂るというよりも、食物を摂る事によって生きてゆけるので、ちょうど生殖と同様子を得る目的で男女が営むのではなく、別の目的の営みで偶然子は授かるのであるから、神秘極まるものである。
 右のごとく人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物は完全に処理出来ないようになっているので、薬は異物である以上含まれている栄養分だけは吸収されるが、他は体内に残ってしまう。これが薬毒であって、しかも厄介な事にはこれが各局部に集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。その集溜個所としては神経を使うところに限られている。神経を使うところといえば、もちろん上半身特に首から上で、頭脳を中心とし眼、耳、鼻、口等であるから、そこを目掛けて毒素は集中せんとし、一旦頸の周りに固結する。いかなる人でも頸の周り、肩の辺に必ず固結をみるであろう。これが凝りであって、ある程度に達するや自然排泄作用すなわち浄化作用が発生する。その場合発熱によって毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿等になって排除されようとする。これを名付けて感冒というのである。
 ゆえに感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して自然に委せておけば順調に排泄され、体内は清浄化し治るという実に結構なものであるから、感冒とは全く簡易な生理作用で、神の摂理であるから、大いに感謝すべきであるにかかわらず、それを知らない人間は、この浄化の苦痛を反って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考え出したものが医療であるから、いかに間違っているかが分るであろう。そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力が旺盛であればある程発り易いので、これを停めるには人体の活力を弱らせるに限る。そこで薬と称する毒を用いたのである。昔から草根木皮、鉱物、動物の臓器等から探り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりして水薬、丸薬、塗布薬、注射薬等色々な形にして浄化停止に応用したのである。それには毒が強いと生命に関わるから、微弱にして、少しずつ服ませる。このため一日何回などと分量を決めたので、よく効く薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたものである。
 このように薬毒をもって溶解排除せんとする毒素を固めて来たので、今日の人間がいかに有毒者であり、病気が起り易くなっているかは、近来予防衛生などとやかましく言ったり、感冒を恐れるのもそのためである。また人間の寿命にしても六十余歳となったといって喜んでいるが、これも大変な誤りである。というのは人間病さえなければ百歳以上は楽に生きられるのに、百歳以下で死ぬのは病による不自然死のためで、無病となれば自然死となる以上、長生するのは当然である。右のごとく医療とは病を治すものではなく一時的苦痛緩和手段で、そのための絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々すべての療法は固め手段ならざるはないのである。その中に一、二異(ちが)うのは灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を誘導させるので、楽にはなるが時間が経てば元通りになるから何にもならないし、またラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織をも破壊してしまうから、差引プラスよりマイナスの方が多い訳である。
 以上のごとく現在までの療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であって、治す方法とは毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。何よりも医師は治すとは言わない。固めるというにみて明らかである。しかも固め方法の内最も有効なものが薬であり、その薬が病原を作るのであるから、医療を受ける程余病が発り易く悪化するのは当然である。その結果ついに生命の危険にまで及ぶのである。それについてこういう事がある。治そうとして熱心に高貴薬など用いる患者程成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患者程治りがいいという話は、医師からよく聞くところである。また衛生に注意する者程弱く、無頓着の者程健康である事や、医師の家族や病院の看護婦などが多病であるのもよく聞くところである。面白い事には稀な健康者、長寿者に訊いてみると、自分は病気した事がないから、医師や薬の厄介になった事はないなどというが、吾々からみればそれだから健康であり、健康だからそうであるので、この点大いに味わうべきである。
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病気とは排毒作用

病気とは排毒作用

『救世』57号、昭和25(1950)年4月8日発行

 そもそも、病気を最も判りやすくいえば病気とは体内にある不純物、すなわち有毒物を種々の形によって排泄さるるその過程をいうのである、従ってこの世の中に病気ほど結構なものはないので、もし人間から病気をなくすとすれば、人間は健康を保ち得ず、到底長命などは覚束(おぼつか)ない虚弱者となるのである、これが千古不滅の真理であって、これを基本として成った医学こそ真の医学である、ゆえに、もしこの真理に外れたいかなる医術といえども、それは真の医術とはいえない疑似医術であるから、到底病気は治し得ないのである。
 そうして有毒物とは、彼の喀痰、鼻汁、喀血、出血等の汚血や、膿汁、下痢便、濁尿、汗、唾液、目脂(めやに)、涙、耳ダレ、発疹、皮膚の紅潮、仝〔同〕斑点、田虫、水虫、フケ等々であって、まず喀痰、鼻汁、汗、濁尿等の排泄作用が感冒であり、下痢や痔出血等は全身毒素が腹部へ集り、肛門から排泄されるのである、また膿汁毒血等は腫物によって排泄され、各種の毒血は天然痘、麻疹(はしか)、猩紅熱(しょうこうねつ)、発疹チフス、疥癬等によって皮膚面から排泄され、その他は毒素はそれぞれ、種々の形によって排泄されるのであるから、病気とは換言すれば、人体の清掃作用である以上、清掃された結果は血液が清浄化するから、健康を増すのである、そのため血行の循環はよくなり、殺菌力は強化され、体力強靭となるから罹病し難くなり、精神的には爽快感の持主となり、楽天的となるのである、これに反し、常に寒冒に罹りやすく、絶えず不快で、根気なく怒りやすく、憂鬱で、神経衰弱や結核に罹りやすいのは、濁血が原因であるのは言うまでもない、そうしてあらゆる病気の中でも、最も簡単にして健康上効果顕著なのは感冒に越したものはないのである、従って、出来るだけ寒冒に罹るようにするのが最もよいのであるから、常に感冒に罹るよう心掛ければ、結核及び神経衰弱などに犯される事はないといってもいいのである。
 しかるに、この理を知らない医学は、およそ反対の解釈であるから、いかに誤っているかが判るのである、何よりも今日医学は進歩せりと言いながら実際的効果ははなはだ疑問である、むしろ進歩すればする程、真の医道と遠ざかるばかりである、見よ、今日寒冒の原因すら不明であり、結核の解決さえもいかに苦心努力しても思うようにならないというに見ても明らかである。
 右の理によって、今日至極簡単な病気でさえも容易に治らないのは逆療法によるからである、事実、吾らからいえば、病気なるものは、まことに容易に治るものである、それは神が与えた清掃作用である以上、不純物がある程度溜れば人間自身が持っている良能力の活動が発生し治るからであってみれば、ほとんどの病気は、何らの手当もせず自然に放任しておくだけで速かに治癒するのである。
 ところが、いつの時代か判らないが、前述のごとく、病気を逆の意味に解し成った医学である以上、いか程進歩したとても治るはずがない、それどころか反って苦痛は増し、生命にまで危険を及ぼすのであるから実に恐るべきものとし、適当の手段を行わなければ安心出来ないという訳で、誤りを解決するのに誤りをもって発達したのが今日の医学である、とすれば、何と恐るべき愚法を続けて来たかと言えるのである、しかも、これがため何百何千年間人類はいかに大なる犠牲を払って来たであろう、それらを考える時全く聖書にある禁断の果実とは医薬をいったのではないかとさえ怪しまれるのである。
 しかしながら喜ぶべし、いよいよ天の時至って、この誤謬の真相を開明し、病なき世界を出現させようとするのであるから、近き将来すべて人間の寿齢は百歳以上は可能となり、且つ無毒者が殖えるに従って、病なく貧なく争を好まない人間が増える訳で、吾らのモットーである地上天国の実現は近づきつつありと確言するのである。
 もちろん、かくのごとき空前の大救業は神の大愛の発露と時期到来にある事はもちろんで、その最も基本的条件は、人間から病を除去する一事で、そのための主要なる点は、医学の是正でなくてはならないと共に、ここに始めて一切の誤謬は解決し地上天国は成立するのである。

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癌病に就て

癌病に就て

『栄光』158号、昭和27(1952)年5月28日発行

 前号に在米国の信者立松文二君よりの通信中に、同国人が現在最も怖れている病気は癌の病だというので、この病原についてかいてみるが、これははなはだ簡単な原因で、肉食の毒素が溜るのである。この病気が若人になく、中年以後に発(おこ)るにみても分るであろう。従ってこの病気を免れるには、野菜を多く食えばいい。以前もかいた事があるが、人間は肉と野菜と半々くらいがちょうどいいのである。この理由はどういう訳かというと肉食は陽性食物であり、菜食は陰性食物であるから、偏ると天理に外れる事になる。従って万一癌病に罹ったとしたら、直ちに菜食に切換えれば長くはかかるが必ず治るのである。
 しかしここに注意すべき事は、罹病するや薬を用いたり、ラジウムの療法などをすると、反って治らなくなるから請合えない。ゆえに何らの療法もしなければ治るから心配はないのである。
 ついでに他の病気の事もかいてみるが、同国においては癌の外小児麻痺にも以前から困っているが、これは擬似小児麻痺で、原因は注射その他の薬毒が足に固まるからであって、これを治すには浄霊より外はないが、今のところ同国では不可能だから、まず自然に放置しておけば、自然浄化によって僅かずつでも治るので、それより外に仕方がない。だがそれを知らないため、医療によって拗(こじ)らしてしまい、一生涯不治の病となるのである。次は結核であるが、これは今度結核信仰療法を出版し、同国へも頒布(はんぷ)するから、これを読んだら救われるが、都合のいい事には米国人は進歩的だから、古い説に余り拘泥(こうでい)しない以上、案外早く認識さるるであろう。
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アメリカを救う』P.21、昭和28(1953)年1月1日発行

 この病気は肉食病といってもいいくらいのもので、これを根本的に説明してみると、最初造物主は人間を造った時、その食物としては穀類、野菜、獣鳥肉、魚肉等それぞれ人体に適合した物を造られ、それを食う事によって、健康で生を営み得るようにされたのである。もちろん住んでいる風土、気候や、人種別にも適応するようになっているのはもちろんで、それが自然である。従って米国における大いなる沃野(よくや)と、そこに生産する穀類、野菜、獣鳥肉等が豊富であるのも植物性動物性食物を適当に食えという訳である。また日本は陸地が狭く、海に取り巻かれているのは、魚肉を多く食えというのである。
 ところがそのような自然の実体を、科学という魔法使が打ち壊してしまい、人体を単なる物質扱いにした結果形而下(けいじか)的には進歩発達はしたが、形而上(けいじじょう)の存在である人間の生命までも形而下に引き下し、栄養学などという飛んでもない学問を作り、皮相なる分析上から獣肉を推奨したのであるから、今日のごとく肉食過多に陥ったのである。ところが元来獣肉には一種の毒素が含まれており、この毒素が漸次集積し固結したものが真症癌であるから、自然はこの肉毒中和の必要からも野菜があるので、穀類は別とし副食物としては相当量野菜を交ぜなくてはならないのである。そうすれば決して癌は発生しない。としたら米国などは肉と野菜と半々くらいがちょうどいい訳である。何よりも菜食多量の民族には癌はないはずである。近来日本においても癌はあるにはあるが、米国とは比較にならない程少数であるのは、全く日本は生活が低く、肉食が少ないからである。
 次に注意したい事は、単に癌といっても真症と擬似との別がある。すなわち右にかいたのは真症であるが、実は擬似の方がズッと多く、この点日本も米国も大差ないであろう。この擬似癌の原因は、無論悪性な薬毒の一種であるから、薬を廃止する事によって無くなるのはもちろん、罹病の場合薬を廃(や)め菜食を多くすれば長くは掛かるが少しずつ治ってゆくから、左程心配はない訳である。
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